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故郷愛媛にお金の教育を広めていきたい「インタビュー #02 」
2023.12.01
NEGIRAIの中の人を知るインタビューシリーズ。
第2回は、常務取締役の平岡瑞希さんです。
これまでのたくさんの経験等、ご自身のことを包み隠さずお話しされ、心を開いてくださったお客様と繋がってきた平岡常務。得意とする金融教育を広げるべく、未来を見据えながら精力的に活動されています。
興味関心のあった「お金」や「年金」が資格取得の後押しに
社労士を目指した背景、これまでの歩みをお聞かせください。
小学生の頃は、夏休みに毎日図書館通いをするような、読書が大好きな本の虫でした。中学生でもやはり好きなのは読書と勉強。人生が大きく変わったのは高校に入学したときでした。私、不登校になってしまったんですね。
振り返ると、中学の後半は進学のことで親と衝突ばかりしていました。アナウンサーに興味があり、放送部の強豪校に入りたいからと、地元を離れた松山市内の高校を志望しましたが、父には「好きな高校に行かせる金はない」と言われ、説得する毎日。最終的には送り出してくれたものの、親との諍いに労力を割いて疲れ切っていたのでしょうか、私は入学後、新しい生活に馴染むことができませんでした。お風呂のない4帖半での下宿生活、全校生徒80人の中学校から1200人の高校へ、という環境の変化も辛かったのだと思います。
今考えると、親は親で本当にお金がなかったのではなく、これまで考えてもみなかった選択肢に当惑して
いたのかもしれません。当時は同級生40人の内、9割が地元の高校へ進学していましたから。 また両親は昭和生まれ、学校でライフプランについて学ぶ機会のないまま、社会人になり親になりました。高校家庭科で「金融教育」がスタートしたのが2022年です。教育費だって資産運用だって、自分たちが手探りで進めるしかなかったんですよね。
それから私は家を出て、働きながら通信制高校に通うことになります。
高校1年生から3年生まで、飲食チェーン店でアルバイトをしていました。シフトは朝5時から昼2時です。同僚は、授業前の大学生や、主婦のパートさん。妹や娘のようにかわいがって貰っていました。張り切りすぎて、店内清掃の分厚い写真付きマニュアルを作ったことがあったのですが「チームのみんなと足並みをそろえなければ、ついてきてもらえないよ」と店長にたしなめられました。頑張れば認められると思っていたし、それが嬉しくもあったんですね。
高校3年生の冬、振袖レンタルショップで派遣社員として働き始め、そのまま正社員転換されました。ちょうどこの頃、漢字検定の準2級を取得しました。以降、毎年何かの資格を取得していくのですが、勉強が好きということ以上に、高卒という学歴ハンデを払拭したい思いが強かったです。
いつか興味のある不動産業界に転職したいと思っていました。
一人暮らしだった高校生の頃、自分で部屋探しをする機会が何度かあり、そこから不動産業に興味を持ち始めていました。住宅購入は「お金」にまつわる人生の一大イベントでもありますし。「宅建主任者の資格を取ります」と背伸びして不動産会社に入社し、直後の試験でなんとか合格しました。企画営業販売を一人でこなすベテラン上司と、私と、2人だけの職場でした。
この時の上司には、仕事のことはもちろん、人生観や人付き合い、大切なことをたくさん教わりました。
例えば「友人が困っているときに、お金は気軽に貸せないけれど、知識は貸すことができる」とか。「トラブルを絶対に発生させないのが我々の仕事ではなくて、発生したトラブルをしっかり解決するのが仕事」とか。私の業務は事務職で、物件情報を収集して整理したり、書類の作成、チラシ作り、経理など。 ここでの在職中に夫と結婚、1人目の出産をします。
育休明けに転職した不動産会社は、大学新卒社員がたくさんいる環境でした。新卒には新卒の悩みがあるんだなと思い、それまで縛られていた学歴コンプレックスは段々となくなったように思います。ただ、資格試験は続けていて、ファイナンシャルプランナーの次をどうしようと考え、一番興味の深かった「年金」にまつわる唯一の国家資格、社労士を目指そうと思いました。
2人目を出産し復職した後は、育児と仕事の両立に頭を悩ませながら、でもいつも優先順位は仕事でした。仕事が楽しくて。社労士試験に合格した際も、会社を辞めるなどとは全く考えていませんでした。「いつか…」くらいに思っていたのですが、家族の後押しをきっかけに開業することになります。
その後、ご縁があってこうして森さん、越智さんと事業を共にしています。私は、社労士という仕事を通して、社会保険適用、年金給付、従業員研修など、職場で働く人のライフプランにアプローチできると考えています。働く人、その向こうは子供たちがいます。自分と同じように、学費で進路を歪めるような子供をなくしたい、という思いが、仕事への原動力です。
若い世代に伝えたい思いが原動力
社労士のやりがいについてお聞かせください。
確定拠出年金を導入した会社で、投資教育をさせていただいていますが、私の話を聞きながら、今後のライフプランについて前のめりに質問してくださる20・30代の方がいると、やりたかった「お金の教育」を少しずつでも前に進めていけているなと、とても嬉しくなります。
他にも、相談してくださっていた方が、1、2年経ってリピートしてくださり「お金と楽しく付き合えるようになった」「資産形成を進めることができている」と聞かせていただけた時、頑張ってきてよかったと心から思います。
それぞれの得意分野を活かしながら
改めて、NEGIRAIグループはどのような組織でしょうか。
NEGIRAIの良いところは、3人それぞれの強みを活かせるところです。
30代から60代まで、様々な経験を持った社員が集まっているので、1つの事象に対して多角的な視点をもち対応できます。よく、私がモヤモヤしていることに対して、最年長の越智さんが核心をつくようなアドバイスをしてくれます。さすが年長者という感じで、お客さまに対する言葉も、柔らかさや深みがあるなと傍で見ています。
森さんと私は30代で、こちらは、若さ・勢い・ITに強い…といった評価をいただいていますが、こうしてこれからも強みの違う3人で、互いに補い合いながら、お客様に価値を提供していきたいです。
好きな仕事にそれぞれ注力できるのもいいところです。
お互いの得意分野は、自分が担当する顧問先かどうかは関係なく、手を借りたり貸したり、口を出したりしています。私は年金が好きで、森さんは就業規則を作成するのが好きです。
例えば、越智さんの顧問先から就業規則の問合せがあったら森さんが、森さんの顧問先から年金の問い合わせがあったら私が、私の顧問先からハラスメント社員の対応をお願いされたら越智さんと森さんが…という具合で「得意な人が対応する」のが社内のあたりまえになっています。
ハラスメントなどのトラブル事案は、原則2人以上で対応するという社内ルールもあります。応答に正確性・慎重さが求められるという理由以上に、1人で受け止めることの心の負担を軽減しようという趣旨です。健やかに働くこと、をお客様に提案している我々自信が、心身健康でいましょうと声を掛け合っています。
改善点ももちろんあります。頑張りすぎているところでしょうか。ちょっと休もうよ、とは思っています。また、労務相談について、取り組む優先順位の高低、法令の最低基準で足るか否か、分かりやすさか正確性か、といった温度感が三者三様になることもあるので、社内ミーティングで事例共有を重ねながら、法令順守意識・組織開発のレベルなどが「高いほうに足並みを揃えていく」ことを常に意識していきたいと思っています。
お金の教育を届けるために、仲間を増やしていきたい
未来に向けて挑戦したいことをお聞かせください。
社内で私の担う役割は、サービス品質の向上、業務処理がしやすい環境づくり、コンプライアンス担保、職員研修など、日々の執務のメンテナンス的なことが多いです。分野で分けると、企業年金、公的年金、退職金、年金セミナー、建設業の人事労務などが専門です。
2023年9月に、創業以来の目標だった大阪支店を立ち上げました。後押しをしてくれた仲間の為にも実績を作ることが私の責任だと思っています。企業年金の導入は、愛媛ではまだ関心が薄いので、関心の高い関西圏でサービスを展開していくなかで、故郷愛媛に大阪で得た知見を還元していきたいと思っています。
個人的には「70才までに、愛媛の全ての子どもたちにお金の教育を届ける」という目標があります。その為に「仲間を増やす」ことをいつも大切にしています。決して一人で達成できる目標ではないからこそ、金融教育という理念に共感してくれる仲間を草の根で少しずつ増やしていきたいと思っています。